アメリカ留学体験談:大学院

語学留学なしで大学院へ

プロフィール: 時松 愛さん、女性、22〜23歳の時にバーモント州の大学院修士課程に留学

 

私がアメリカの大学院(Master of Arts in Teaching English as a Second Language, 第二言語としての英語教授法修士課程)に留学したのは15年以上前になりますが、今でも昨日の事のように思い出すことができます。学部3年生でまだまだ英語を深く学びたいと考えていたところに、先生から大学院に進学して研究者にならないかと勧められました。

 

英語力は順調に上がっていましたが、それまで英会話学校に通った事はなく、大学の授業だけだったので、実際に通用する英語力になっているのか不安もあり、またアメリカ文化研究が研究分野のひとつであったのにもかかわらず、海外渡航経験はまったくなかったことに不安を感じていました。

 

実家は経済的に恵まれておらず奨学金を受けながら大学に通っていたので、大学の授業の他はすべて独学で勉強する事になりました。今思うと、これが良かったのだと思います。本分である大学の授業を大切にすることができて成績も上がりましたし、わからないことがあればいつでも先生方に質問する事ができました。

 

勉強方法はひたすらTOEFLの問題集を解くというものです。気分転換に海外のニュースや雑誌を読んだり、映画を見たりしてとにかく英語に接する時間を増やしました。高校まで英語の偏差値は30台だったので、学力のベースとなるほど英語に接していないのではないかという危機感を持つ事がかえって良かったのかもしれません。

 

そんな時、ロンドン大学大学院博士課程を修了したゼミ担当の先生から貴重なアドバイスをいただきました。「留学」というと英語が話せないといけないというイメージが先行するかもしれないが、正規留学であれば何よりも読む力が必要であること、日本では読解ばかりやらされているイメージがあるが、実際には他国からの留学生に比べてまったく英語を読んでいる量が足りていない事などでした。

 

私はTOEFLの中でも理数系分野の概念を理解するのが苦手でしたが、今はTED-Edの動画やタブレットのアプリなどで視覚的に勉強できるものが増えていてとても羨ましく思います。私が学部を卒業した頃には既に就職氷河期が始まっており、クラスメイトが苦労して内定をとり、晴れ晴れとして卒業するのが眩しく感じられました。私はなかなかTOEFLの規定点数に届かずにいましたが、卒業後の4月になってやっと到達し、6月に出発しました。

 

初めて飛行機に乗って、アメリカに着いた翌日には大学院の授業を受けていました。最初の頃はまったくついていけずにいました。内容はなんとなくわかる程度で、アメリカの学校で重要とされる「手を挙げて質問する」ができなかったのです。時間割を見て、同じ授業が日に二回開講されていることがわかったので先生に頼んで、同じ授業を二度受けさせてもらいました。学校はそうした努力を歓迎してくれ、必要なサポートは何でも受けられ、気安く相談できるように先輩を紹介してくれたりもしました。とても家族的な温かい学校でした。

 

留学前に「とにかく読む量が大事」と言われた事は果たして真実で、とにかく教科書を読み込む毎日でした。修士課程学生の平均年齢が38歳くらいで、当時22歳と最年少だった私は周りからも心配される存在だったようです。最初に「発音学」の授業をとりましたが、これが幸いしました。発音記号を既にすべて覚えていたので、宿題などは簡単にできました。他の留学生は学部を卒業していても発音記号を習っていない学生もいたので、彼らは一からすべてを覚える事になります。ここでようやく肩を並べて、わからないところはお互いに教え合ったりして勉強できるようになりました。授業中には必ず一度は手を挙げて発言したり質問することを自分に課し「授業参加度」のスコアが落ちないようにしました。

 

ひとつだけ辛かった事は勉強の事ではありませんでした。実家は父子家庭で、その父が心筋梗塞を起こして倒れたのです。弟は重度心身障がいを持っています。父は何があっても、たとえ死んだとしても帰国させるなと言って意識を失ったそうで、電話代も惜しんでいた私は父が意識を取り戻すまで父が倒れた事を知りませんでした。「絶対に学位をとるまで帰ってくるな」と言ってくれたので「頑張って勉強する」と誓い、留学を続ける事にしました。そうは言っても、心配でしばらく勉強が手につかなくなりました。勉強しなければいけないのに集中できない。一体、自分はここで何をやっているんだろう…と呆然としていました。

 

そんな時、英語教授法修士課程という様々な国や文化の学生が集うプログラムで、色々なバックグラウンドを持つ同級生達が次々と祈ってくれました。宗教も文化も違うのに、皆心を一つにして、父がなんとか生き抜いたことを感謝してくれました。それが最も大きな支えとなりました。学校も、奨学金のお願いをしたその場で、それ以降の学費をすべて免除してくれました。父は私が帰国した2年後に他界しましたが、最期まで感謝し続けていました。間違いなく、これが私が留学で得た一番の経験だと思います。

 

無事、修士号を取得して帰国したものの、当時は若過ぎて研究職にすぐに就くことができず、また父や弟の介護もあって2年ほどは実家で暮らしました。その傍らで論文を書き、研究実績を積みました。25歳で非常勤講師の職を得て、教壇に立ち始めました。その後体調を崩して5年ほどで講師職を辞することになり、一旦は専業主婦となりました。父子家庭出身ということもあって、ずっと子どもが欲しいと思っていたので「お母さん」でいられる時間はとても安らぎ幸せな時間だと思っています。

 

出産を機に体調も回復し、現在は夫と一緒に日本初のランニング専用ベビーカーを使ったエクササイズ教室、「ベビラン」を主宰しています。英語講師ではなくなりましたが、海外のベビーカー安全情報にアクセスしたり、時には英語でレッスンをすることもあり、またボランティアでTED翻訳をするなど、英語は再び私の生活の中で生きています。その道のりが日本人女性初のTEDブログ記事寄稿としてとりあげていただくことになりました。一見回り道だと思えた事が実はそうでなかったのかもしれません。

 

これから海外留学をされる方には、かつて私が受けたアドバイスと同じく「読む量が大事」とお伝えしたいと思います。ひょっとしたら語学留学でもスピーキング力は遜色なく身につくかもしれませんが、実際に話している言葉が英語かどうかもわからないほど白熱した議論になると、結局は読み込んだ量が勝負になると思います。

 

読解力をつける勉強は英語学習の中でも地味で、英会話のように華やかなイメージはないかもしれません。しかし日本語でも英語でも活躍できる人というのは知識量、思考力、そして思いやりの深さが物を言うと痛感させられます。そしてよく「英語はストレートに意見を言わないといけない」という通説に押されてストレートに出過ぎてしまい、失礼だと言われる日本人留学生の姿も見る事がありました。世界中の言語の中で比較すると、アメリカはストレートに意見を言う、いわばlow-contextな文化とは言い切れません。

 

ぜひこれから海外に出られる方には異文化間コミュニケーションの入門書を何冊か読んで、どのくらいのスタンスでいるのが一番よくコミュニケーションがとれるかを予習しておくと、滞在がスムーズになると思います。Good luck!

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