アメリカ留学体験談:大学

長期計画で成功させた音楽留学

プロフィール: Polyrhythmさん、42歳男性、1995年〜2002年にバークリー音楽大学へ留学

 

私は20代半ばにアメリカでの音楽留学をしました。昔ギターを習っていた先生がアメリカ東海岸にあるバークリー音楽大学で学んだ方だったので、ボストンでの音楽生活を聞いているうちに自然とアメリカ留学しようと思ったのです。

 

高校生の頃にすでにアメリカ留学を決めていたので、英語学校に週に2回通っていました。20歳を越えてお酒が飲めるようになると、英語学校のネイティブの先生がよく行く外国人が集まるバーに連れて行ってもらい、そこで様々な国の人達と英語で会話をして英会話を鍛えました。英会話は実際に相手と喋って使わないと覚えないので、ネイティブスピーカーと会話をする機会を作る必要があります。おかげで英会話は日本で習得しておいたので海外で困ったことは一度もありませんでした。

 

当時バークリー音楽大学は日本の留学生が毎年300人近くいたので、日本人同士で集まると英語が上達しないので、様々な国の学生達と普段は過ごすように意識していました。音楽は語学のようにコミュニケーションする手段なので、音楽で新しい友達を作るのは簡単でした。

 

私は新しい環境に適応するのは得意なほうですが、アメリカでやはり一番緊張するのが銃社会でした。時折銃声は聞こえましたし、家の裏の駐車場で強盗が男性に銃を突きつけていて男性が命乞いをしていたのを見たことがあります。

 

大学での授業はハードでしたが、留学前に、すでに日本で音楽の仕事に赴いていたので、その忙しさに比べたら楽なものでした。

 

日本では学びたかった作曲や編曲の技術に関する書籍が少なかったり、それを教えることのできる先生に出会うことができなかったのですが、留学先では詳しく書かれた書籍が出版されていていましたし、質問したことは何でも答えてくれる素晴しい教授に出会うことができたので、作曲や編曲の能力が飛躍的に向上しました。

 

大学を卒業した翌年にはニューヨークで同時多発テロが起こり、アメリカが戦争を始めたので、それを機に日本への帰国を決めました。

 

海外生活が7年にもなってしまったので日本で仕事を探すには苦労するかと思いましたが、ボストン時代の友人の紹介で音楽学校で講師として働き、またそこで知り合った友人の紹介で音楽関連の会社でも働くことができて、スムーズに日本での生活を再スタートすることができました。

 

素晴しい大学の教授達、世界各国から留学してきていたクラスメートとの出会いは今でも宝物です。

 

ボストンはアメリカの歴史上とても重要な街なので、音楽以外に歴史にも興味を持つようになりましたし、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などの名門校がある街ですので、あらゆる分野のことに興味が広がり視野が広くなりました。

 

留学経験は大きく人生を飛躍させてくれることになりますが、日本を出ると自分というアイデンティティーだけでなく、日本の代表という気持ちで常に行いを良く過ごすことで現地の人々の信頼を得てください。そのことが今後留学をする日本人の手助けになりますし、日本人としての誇りへの気持ちと繋がります。

 

それから留学をするときは目的意識を持って行くと、留学先で辛いことがあっても頑張れると思います。

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